初秋の今昔庵

「楮」でのランチの後は、今昔庵へ。
今年の春に訪れて、松岡未紗氏に出会い、私の岐阜通いが始まった。
今日はどんな布にまつわるお話が聞けるかと、楽しみに。。。

岐阜のさっちゃん~お染さん~今昔庵の松岡氏に繋がる御縁に感謝。

先日、書棚を整理していたら、12年前の「和の生活マガジン・さくら」が出てきました。
目を通してみると、歳時記物語 風にのって… 蔓草文様(つるくさ)
松岡未紗氏の文章が!
不思議な御縁を感じて、今昔庵に「Sakura」を持っていきました。
ひとしきりその話題で、盛り上がり、
掲載のものを全部読んでみたいものだと、願うのでした。

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改めてしつらえを拝見すると、長板中型と白影絞りと絣が目に入りました。
それぞれ珍しいものです。

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そして、柳絞りと共に三浦絞りを拝見。
三浦絞りは、九州のものと、言われながら出してくださいました。

ここら辺では、ご当地の有松・鳴海絞りを思い浮かべますからね。
元を辿ると、九州は豊後。
豊後絞りが、こちらで見受けられたのは、時をさかのぼり
1610年(慶長15年)~1614年(慶長19年)
名古屋城築城のため、九州から来ていた人たちの持つ手ぬぐいでした。

名古屋城築城(天下普請)が始まったのは1610年(慶長15年)のこと。
まず堀や石垣を築く土木工事(普請)から始まった。
家康は前田利光(加賀、能登)、加藤清正(肥後)、
黒田長政(筑前)、細川忠興(豊前)、福島正則(安芸、備後)ら二十大名に手伝い(助役)を命じた。
手伝いとは名ばかり。工事費用はすべて大名が負担し、家康は口は出すが金はビタ一文も出さない。
指名された大名は莫大な量の資材を人夫ともども国元から運ばねばならず、一度指名されると、相当な大藩でもやせ細るといわれた。

その頃の有松は、というと、
江戸時代のはじめには、人家の無い荒地であったため、この土地を通る東海道の治安が安定せず、
尾張藩は集落をつくるため移住者を募った。
1608年(慶長13年)知多郡阿久比町から竹田庄九朗をはじめ八名が移り住んだ。
有松が開かれたが、丘陵地帯であるため稲作に適する土地ではなく、
また、鳴海宿までの距離が近かったことから間の宿の発展も望めなかった。
庄九朗は、名古屋城築城工事に加わることになり、
そこで九州から来ていた人たちの絞りの手ぬぐいに目を留めた。
試行錯誤し、知多木綿に絞り染めを施した手ぬぐいを街道を行きかう人々に土産として売るようになった。

また、この三浦絞りの名が付いたのは、
1655年(万治元年)に豊後(現在の大分県)より移住した医師三浦玄忠の妻によって、豊後絞りの技法が伝えられたため。
このときに伝えられた技法は、三浦絞りあるいは豊後絞りの名前で呼ばれ現在にも伝わっている。
なお、鳴海絞りではこの三浦玄忠夫人を鳴海絞りの開祖と伝えている。

そして、豊後絞りと三浦氏のルーツを辿ると、
豊後国高田荘(現在の大分市東部)では、鎌倉時代に相模国から地頭として下向した三浦氏の一族によって、
室町時代後期に木綿の栽培が始められたとされる。
その木綿で作った布は「三浦木綿」と呼ばれて名産となった。
江戸時代初期には、この三浦木綿を絞り染めの技法を用いて藍染めしたものが「豊後絞り」や「三浦絞り」と呼ばれ、
特産品として全国に広まった。

一枚の布から、時代の流れの中で生まれ、形となり広がることを知る。
松岡未紗氏の話は、元を辿る。元を知ることを教えてくれた。

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ふぅ。。。咽が渇いてきました。
今昔庵では、懐かしいラムネもあるんです。

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この記事へのコメント

長岡
2009年09月25日 08:38
今、岐阜アクティブGにあるCHA-CHAのオーナーさんに春日井でポジャギを習っています(4回の短期講座ですが)
以前には美殿町まつりにも出かけたことがあって、うわ、岐阜、縁があるかも・・・(笑)
今昔庵も素敵なところですね
トビウオ
2009年09月25日 23:25
長岡さま☆
チクチクお針事がお好きですね。
長岡さんの爪の垢を煎じて飲まなくっちゃ!

また機会がありましたら、岐阜にお出かけいたしましょう。

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