K先輩と伊兵衛織

私が勝手に名付けでいるK先輩。
2、3度、お話をする機会があり、着物談義で盛り上がりました。

「着物道は奥が深い」とおっしゃるので、「着物道の先輩」ということで、
とうとう、御本人に「k先輩と呼ばせてください!」と願い出ました。
「人生でもそうだわね。あはははは。」と笑って下さった。
なんでも言ってみるものだ。

さて、K先輩は三枚持っているという伊兵衛織。

特徴は、玉繭から手紡ぎした玉糸を、普通の紬糸と比べて4倍ほどの太さに撚り合わせた糸を使用していること。
玉繭とは、2匹の蚕が共同で一個の繭にしたものを言います。
玉糸を紡ぐ時に、糸が絡まりあって出来る自然な節と、太めの糸が、絹らしくない素朴さと立体感のある手織物を生み出しています。
しかし、90年半ばに愛知県豊橋市の最後の玉糸工場が閉鎖という危機が!
http://www.tees.ne.jp/~silk/seishi/013.html
玉糸の生産中止は、伊兵衛織がなくなってしまうことに!
そこで、現当主水野日出夫さんが全国で唯一、手工業で生糸を作っている
宮坂製糸所を訪れ糸の制作を依頼。
廃業した豊橋市の工場から機械を譲り受けて指導を仰ぎ、現在に至っています。
染色は化学染料使用です。
柄は、昔の縞帖からの素朴な縞柄、格子柄 、太い糸だから可能な千鳥柄等 があります。

そして、「伊兵衛」名前の由来は、昔、浜松にあった庄屋の中で、お殿様とお話ができた4軒うちの一軒の当主が代々継ぐ名からきています。
先代の当主は、柳宗悦と共に民芸運動をすすめた人でした。
昭和6年、敷地内に日本民芸館(現在は東京駒場)を作り、 和時計の収集家で知られ、文化人、茶人とも交流が深い趣味人でした。 第二次大戦後、庄屋制度がなくなり、先代から手織りの仕事に本格的に携わるように。

もし、戦争が無く庄屋制度がなくならなかったら、伊兵衛織は生まれなかったかもしれませんね。

手織りの元は、ざざんさ織り。
ざざんざ織は、浜松市中島町の平松実氏により創作された紬の織物です。
平松氏は昭和3年、柳宗悦が提唱した民芸運動の一翼をになわんと、工芸的織物を創作を始め、手織のざざんざ織りを昭和4年に完成させました。ざざんざは颯々とも書き、松風の音を表現したものです。
当地の有名な松の下で足利将軍義教が「浜松の音はざざんざ……」と読んだことからその松がざざんざの松と名付けられたといいます。潮風に冴え、人々に美しさと安らぎを与える松にあやかって、平松氏はこの名を命名したといいます。

ざざんざ織は、2頭の蚕が共同で作った繭からとる玉糸と普通の引き糸を紡いで紡糸とするため、糸そのものに太さに変化があり、そのムラがさざんざ織独特の風合いとしなやかな手触りを生み出します。
染色は茜、山桃などの草木染を用います。

現在は、三代目。
詳しくは、http://homepage2.nifty.com/zazanza/

さて、伊兵衛織のもうひとつの特徴が、仕立て。
仕立ては、すべて単衣仕立てで、大体10月~4月に着用できます。
居敷当てには、羽二重を使用。
普通の着物地の1.5倍ほどの重さがありますが、身に纏うと重さはあまり感じられません。

少産なので、年数回の展示会等で反物を見ることが出来ます。
ちなみにK先輩は、展示会の初日に毎年行かれるそうです。

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